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【事例】父はアパートオーナー。認知症になったらどうなるの?
「最近、父の物忘れがちょっと気になるんです。父は川崎市内でアパートを経営しているのですが、もし認知症になってしまったら、あのアパートはどうなってしまうのでしょうか…」
先日、事務所の無料相談にいらっしゃった40代の男性(Aさん)は、深刻な表情でそう切り出しました。お父様はアパート経営一筋で、Aさん自身もいずれは長男として引き継ぐことを漠然と考えていたそうです。
「大規模な修繕もそろそろ考えないといけない時期ですし、空室も出てきています。父が元気なうちはいいですが、判断能力がなくなってしまったら、息子である私が代わりに契約手続きをしたりできるものなのでしょうか?」
Aさんのお話は、多くのアパートオーナー様とそのご家族が抱える、切実な悩みを象徴しています。
ご相談のポイント
- ✔ 高齢のお父様がアパートを経営している。
- ✔ 将来、認知症になった場合の経営の停滞が心配。
- ✔ 経営は長男に任せ、いずれはアパートも長男に継がせたい。
- ✔ 妹(長女)との間で揉め事が起きないよう、公平な相続も実現したい。
- ✔ 裁判所が関与する成年後見制度は、できれば避けたい。
「もし父が認知症になったら、アパート経営は止まってしまうのでしょうか?そうなると、家賃収入が途絶えるだけでなく、資産価値もどんどん下がってしまいそうで…」
Aさんの不安は、決して大げさなものではありません。対策を講じていない場合、オーナー様の判断能力の低下は、アパート経営そのものの「凍結」に繋がる可能性があるのです。
この記事では、Aさんのようなお悩みをお持ちの方へ、なぜ経営が凍結してしまうのか、そしてその有効な対策の一つである「民事信託(家族信託)」を活用して、どのように大切な資産と家族の未来を守れるのかを、実際の解決事例に沿って分かりやすく解説していきます。

オーナーが認知症になるとアパート経営が「凍結」する理由
なぜ、オーナー様が認知症になるとアパート経営が「凍結」してしまうのでしょうか。それは、アパート経営に関わる多くの行為が「法律行為」にあたり、それを行うには本人の明確な「意思能力」が必要だと法律で定められているからです。
認知症などにより意思能力が失われると、たとえご家族であっても、本人に代わって法律行為を行うことは原則としてできません。これが「資産凍結」の正体です。
大規模修繕や売却など、あらゆる契約行為がストップ
アパート経営は、日々の家賃管理だけでなく、様々な契約行為の連続です。オーナー様の判断能力が失われると、以下のような業務がすべてストップしてしまいます。
- 新規の賃貸借契約:新しい入居者を迎えることができません。
- 既存契約の更新・解除:家賃滞納者への対応も難しくなります。
- 大規模修繕やリフォームの契約:建物の老朽化に対応できず、資産価値が下落します。
- 管理会社との契約:新たな管理会社を探したり、契約内容を見直したりできません。
- アパートの売却や建て替え:より有利な資産活用への転換が不可能になります。
- 火災保険などの損害保険契約:万が一の際の備えもできなくなります。
- アパートローンに関する手続き:金融機関との借り換え交渉なども行えません。
結果として、空室は増え、建物は傷み、家賃収入は減っていく…という負のスパイラルに陥ってしまうのです。
「法定後見制度」では柔軟な経営判断が難しい現実
「認知症になったら、成年後見制度を使えばいいのでは?」と考える方もいらっしゃるかもしれません。確かに、判断能力が失われた後にとれる唯一の法的な手段が「法定後見制度」です。
しかし、この制度はあくまで「ご本人の財産を現状のまま守る」ことを最優先の目的としています。家庭裁判所が選んだ後見人が、本人の財産を管理するため、ご家族の意向がそのまま反映されるとは限りません。
特にアパート経営においては、以下のような大きな壁にぶつかります。
- 積極的な投資ができない:相続税対策のための生前贈与や、収益性向上のための大規模修繕・建て替えといった「リスクを伴う積極的な資産活用」は、本人の財産を減らす可能性があるため、裁判所の許可が下りにくいのが実情です。
- 柔軟な判断が難しい:後見人はすべての財産収支を裁判所に報告する義務があり、一つひとつの判断に時間がかかります。スピーディーな経営判断が求められる賃貸経営には、なじみにくい側面があります。
- 家族が後見人になれるとは限らない:財産額が大きい場合など、司法書士や弁護士といった専門家が後見人に選ばれるケースも多く、その場合は専門家への報酬が継続的に発生します。
つまり、法定後見制度は「守り」の制度であり、アパート経営のような「攻め」の資産活用を継続していくには、不向きな場合が多いのです。だからこそ、判断能力がある「元気なうち」に対策を講じておくことが何よりも大切になります。

解決策は民事信託(家族信託)|仕組みと登場人物を解説
そこで、アパートオーナー様の認知症対策として、近年注目されているのが「民事信託(家族信託)」という制度です。
難しそうに聞こえるかもしれませんが、仕組みはとてもシンプルです。一言でいえば、「元気なうちに、信頼できる家族に財産の管理・運用を託しておく契約」のこと。まるで、大切な財産の管理・運用だけを、信頼できる家族の口座に「お引越し」させるようなイメージです。
民事信託には、主に3人の登場人物がいます。
- 委託者(いたくしゃ):財産を託す人(例:お父様)
- 受託者(じゅたくしゃ):財産を託され、管理・運用する人(例:長男Aさん)
- 受益者(じゅえきしゃ):信託された財産から生じる利益(家賃収入など)を受け取る人(例:お父様)
この契約を結ぶことで、お父様(委託者)が認知症などで判断能力が低下した後も、長男Aさん(受託者)が自身の権限で、大規模修繕の契約や新規入居者との契約などをスムーズに進めることができます。
そして、アパートから得られる家賃収入は、これまで通りお父様(受益者)の生活費や介護費のために使われるため、お父様の生活が脅かされることもありません。これが、民事信託が認知症対策に有効な対策となり得る理由です。
【解決事例】民事信託で認知症と相続、二つの不安を解消
それでは、冒頭のAさんのケースは、民事信託を使ってどのように解決できたのでしょうか。当事務所では、民事信託と公正証書遺言を組み合わせることで、Aさんご家族が抱えていた「生前の認知症対策」と「将来の相続対策」という二つの大きな不安を、同時に解消するご提案をしました。
アパート経営は長男へ。贈与税をかけずに管理権を移す
まず、お父様を「委託者」、長男Aさんを「受託者」、そしてお父様を「受益者」とする民事信託契約を結びました。そして、信託する財産(信託財産)としてアパートを指定し、法務局で所有権の名義について信託の登記手続きを行いました。この登記により、名義は「受託者 長男A」となり、信託の目的などが公示されますが、登録免許税などの費用が発生します。
これにより、Aさんは信託契約で定めた権限の範囲内で、リフォームや新規賃貸契約、将来の売却など、アパート経営に関する契約行為を行えるようになりました。お父様の判断能力に左右されることなく、積極的で機動的な経営が可能になったのです。
ここで多くの方が心配されるのが税金の問題です。
「名義を息子に変えたら、贈与税がかかるのでは?」
受益者が変わらないなど一定の要件が満たされる場合には、贈与税の問題が生じにくいことがありますが、信託の設計や終了時の帰属などにより課税関係が変わるため、具体的には税理士などの税務専門家への確認が必要です。
遺言の機能も。「次の相続」まで見据えた設計
民事信託のもう一つの大きな強みは、契約内容を柔軟に設計できる点です。今回の契約書には、お父様に万が一のことがあった場合(相続発生時)の条項も盛り込みました。
具体的には、「委託者(父)の死亡によって信託は終了し、信託財産であったアパートは、長男Aさんが取得する」と定めたのです。これを「受益者連続型信託」や「帰属権利者の定め」と呼びます。
これにより、信託契約で信託終了時の帰属を定めることで遺産承継を明確にできますが、第三者への対抗要件の具備や登記手続き、他の相続人との関係によっては、別途手続きや調整が必要になることもあります。

長女へは遺言で配慮。家族全員が納得する円満相続へ
「アパートをすべて長男に継がせるとなると、長女の相続分がなくなって不公平にならないか?」
これも非常に重要なポイントです。特定の相続人に財産が偏ると、それが原因で家族間に亀裂が入ってしまうことも少なくありません。
そこで、今回は民事信託とは別に、「公正証書遺言」を作成することをご提案しました。お父様には、アパート以外の財産(預貯金などの金融資産)を長女に相続させる、という内容の遺言書をのこしていただいたのです。
このように、民事信託で事業承継の道筋をつけ、遺言書で他の相続人への配慮を行う。この二つを組み合わせることで、お父様の「長男に事業を継がせたい」という想いと、「子どもたちには平等に財産をのこしたい」という想いの両方を実現し、家族全員が納得できる円満な相続の準備を整えることができました。
民事信託と成年後見制度、どちらを選ぶべき?徹底比較
認知症への備えとして、民事信託と成年後見制度(特に、元気なうちに将来の後見人を決めておく「任意後見制度」)はよく比較されます。どちらが優れているというわけではなく、目的によって最適な選択肢は異なります。ご自身の家族に合った制度を選ぶために、それぞれの特徴を理解しておきましょう。
| 比較項目 | 民事信託 | 任意後見制度 |
|---|---|---|
| 目的 | 柔軟な財産管理・運用・承継 | 本人の財産保護・身上監護 |
| 財産管理の柔軟性 | 非常に高い(積極的な資産活用や相続対策も可能) | 低い(現状維持が原則) |
| 開始時期 | 契約締結後すぐ | 本人の判断能力低下後、家庭裁判所が監督人を選任してから |
| 身上監護 | 不可(介護契約や入院手続きはできない) | 可能(制度の主な役割の一つ) |
| 監督機関 | 原則なし(監督人を置く設計も可能) | 家庭裁判所(任意後見監督人を通じて) |
| 費用 | 初期費用(専門家への報酬)、ランニングコストは原則なし | 初期費用+監督人への継続的な報酬 |
財産の積極的な管理・承継なら「民事信託」
比較表から分かる通り、「財産をただ守るだけでなく、アパート経営のように積極的に活用し、次の世代へスムーズに引き継いでいきたい」という目的であれば、民事信託が非常に有効です。
成年後見制度では難しい、相続税対策を目的とした不動産の購入や、収益性を高めるための建て替えなども、信託契約の範囲内であれば受託者の判断で実行できます。また、二次相続(次の世代の相続)以降の承継者を指定できるなど、長期的な視点での資産承継設計が可能な点も大きなメリットです。
本人の生活・療養の支援が主目的であれば「成年後見制度」
一方で、民事信託にはできないことがあります。それが「身上監護」です。身上監護とは、本人の生活や健康、療養に関する法律行為(例:介護サービスの契約、入院手続き、要介護認定の申請など)を代理することです。
これらの手続きは、財産管理とは別の問題であり、受託者の権限には含まれません。もし、財産管理以上に、ご本人の身の回りの契約手続きのサポートが心配なのであれば、任意後見制度の利用を検討すべきでしょう。
なお、両方の制度のメリットを活かすために、民事信託と任意後見契約を併用するという万全な対策をとることも可能です。
民事信託を検討する際の注意点(デメリット)
多くのメリットがある民事信託ですが、万能ではありません。検討する際には、以下の注意点も理解しておく必要があります。
- 信頼できる受託者が必要:財産管理を任せることになるため、受託者には家族からの深い信頼と、ある程度の責任感が求められます。適任者がいない場合は利用が難しいかもしれません。
- 身上監護はできない:前述の通り、介護施設の入所契約など、本人の身体に関する法律行為は民事信託の範囲外です。
- 専門家への依頼費用がかかる:オーダーメイドの契約書作成や不動産登記など、専門的な知識が不可欠なため、司法書士などの専門家への報酬が発生します。
- 税務上の注意点がある:信託期間中に不動産を売却して利益が出た場合、他の不動産所得との損益通算ができないなど、特有の税務ルールがあります。
- 新しい制度である:比較的新しい制度のため、対応できる専門家が限られているのが現状です。
これらのデメリットを理解した上で、それでも民事信託がご家族にとって有効な選択肢なのかどうか、専門家と相談しながら慎重に判断することが大切です。
まとめ|元気なうちの「ひと手間」が家族の未来を守ります
アパートオーナー様の認知症対策は、決して先延ばしにしてよい問題ではありません。判断能力が失われてからでは、打てる手は「法定後見制度」に限られてしまい、ご家族が思い描くような柔軟な資産活用や承継は難しくなってしまいます。
元気なうちに、ご家族で将来のことを話し合い、民事信託という「ひと手間」をかけておくこと。それが、資産凍結のリスクから大切なアパート経営を守り、ご家族の円満な未来へと繋がる、有効な方法の一つです。
司法書士からの一言アドバイス
民事信託は、生前贈与や遺言、後見制度など、様々な制度の特徴を活かせる可能性がある優れた制度ですが、その設計はご家族の状況によって全く異なります。当事務所では、ご実家やアパートといった不動産の認知症対策に関するご相談を多くいただいております。これまでの経験に基づき、ご家族にとってより良いプランをご提案させていただきます。
「うちの場合でも民事信託は使えるだろうか?」「何から始めたらいいか分からない」
そんな漠然とした不安をお持ちでしたら、どうか一人で抱え込まずに、当事務所にご相談ください。司法書士の猪狩佳亮が、あなたの家族の物語をお伺いし、最適な解決策を一緒に見つけ出すお手伝いをさせていただきます。
初回のご相談は無料です(事務所名:司法書士・行政書士・社会保険労務士いがり綜合事務所、代表者:司法書士 猪狩佳亮、所在地:神奈川県川崎市川崎区宮前町12番14号 シャンボール川崎505号、所属:神奈川県司法書士会)。まずはお気軽にお問い合わせください。

司法書士・行政書士・社会保険労務士いがり綜合事務所の司法書士 猪狩 佳亮(いがり よしあき)です。神奈川県川崎市で生まれ育ち、現在は遺言や相続のご相談を中心に、地域の皆さまの安心につながるお手伝いをしています。8年の会社員経験を経て司法書士となり、これまで年間100件を超える相続案件に対応。実務書の執筆や研修の講師としても活動しています。どんなご相談も丁寧に伺いますので、気軽にお声がけください。
