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はじめに:同業者として、司法書士の逮捕に強い衝撃と憤りを感じています
先日、大阪で起きた地面師事件で、現職の司法書士が逮捕されたというニュースが報じられました。同じ司法書士として、この一報に触れたとき、私は言葉を失うほどの強い衝撃と、国民の信頼を根底から裏切る行為に対する深い憤りを覚えました。
私たち司法書士は、国民の大切な財産である不動産の権利を守り、安全な取引を実現するための「最後の砦」であると自負し、日々職務に励んでいます。その根幹を支えるのは、法律の知識や技術だけではありません。何よりもまず、依頼者や社会からの「信頼」です。
今回の事件は、その信頼を自ら投げ捨て、専門家としての特権を私利私欲のために悪用するという、決してあってはならない事態です。これは単なる一個人の犯罪ではなく、司法書士制度そのものの信頼を揺るがしかねない、極めて深刻な問題だと捉えています。
この記事では、単に事件の概要をなぞるだけではなく、なぜこのようなことが起きてしまったのか、司法書士の制度がどのように悪用されたのか、その手口の本質を専門家の視点から深く解説します。そして、失われた信頼を回復するために、私たち司法書士が何をすべきか、真摯に向き合いたいと思います。
大阪で起きた地面師事件の経緯と概要
まず、事件の全体像を把握するために、報道されている内容を基に経緯を整理しましょう。
舞台となったのは、大阪市北区にある土地です。地面師グループは、この土地の所有者になりすまし、所有権を不正に移転させて売却し、多額の利益を得ようと企てました。
その計画の中で、逮捕された司法書士は中心的な役割を担ったとされています。所有者になりすました人物を「本人に間違いない」と証明する虚偽の書類を作成し、法務局に所有権の移転登記を申請した疑いが持たれています。
報道では、なりすましによる虚偽の登記申請が行われた疑いがもたれているとされています。経緯などの詳細は、今後の捜査・司法手続の中で明らかになる部分もあるでしょうが、一歩間違えれば、真の所有者が知らないうちに大切な不動産を奪われるという、取り返しのつかない事態に発展しかねない事件です。
不動産の権利関係を公示し、国民の財産を守るための不動産登記制度。その専門家である司法書士が、制度を悪用して不動産を乗っ取る側に回ったという点に、この事件の異常性と深刻さがあります。
【本質解説】司法書士の特権が悪用された4つの手口
今回の事件は、単に書類を偽造したという単純な話ではありません。司法書士に与えられた公的な権限や、社会の信頼を巧みに利用した、極めて悪質な手口が用いられています。ここでは、その連鎖を4つのステップに分けて、詳しく解説していきます。

手口1:特権の濫用「職務上請求書」による住民票の不正取得
通常、地面師事件において司法書士は「騙される側」であることがほとんどです。しかし、この事件では、逮捕された司法書士自身が地面師グループの一員として、犯行の起点となる役割を担っていました。
その第一歩が「職務上請求書」の悪用です。職務上請求書とは、司法書士などの専門家が、依頼された業務を遂行するために必要な場合に限り、他人の戸籍謄本や住民票などを取得できる特別な書類です。例えば、相続手続きで亡くなった方の戸籍謄本を遡って取得する際などに正当に使用されます。
今回の事件では、この特権が不正に利用されました。司法書士は、何の依頼もないにもかかわらず、ターゲットとなった土地所有者の住民票を不正に取得。これが、すべてのなりすましの始まりとなったのです。守るべき立場にある専門家が、その特権を使って攻撃の糸口を作ったという事実は、断じて許されるものではありません。
手口2:公的機関を欺く「本物の」運転免許証の不正再交付
次に地面師グループは、不正に取得した住民票を使い、驚くべき行動に出ます。
なりすまし役の人物が、住民票とおそらく偽造したであろう通帳などを持ち、運転免許センター等の窓口で「運転免許証を紛失した」と嘘の申告をして、再交付手続きを行ったのです。
この手口の最も恐ろしい点は、出来上がったものが精巧な「偽造品」ではなく、都道府県公安委員会が交付する正真正銘の「本物」の運転免許証になってしまう点です。もちろん、顔写真はなりすまし役のものですが、記載されている氏名、住所、生年月日は真の所有者のものであり、公的な身分証明書として通用してしまうのです。
公的機関の窓口手続きの隙を突いた、巧妙かつ大胆な手口と言えるでしょう。
手口3:信頼の悪用「本物の」印鑑証明書の不正取得
「本物の」運転免許証を手に入れたグループの犯行は、さらにエスカレートします。
今度は、その免許証を身分証明書として役所の窓口に提示し、印鑑登録の変更手続きを行いました。そして、不動産取引において極めて重要な書類である「印鑑証明書」を取得するに至ります。
不動産の売買では、実印と印鑑証明書が本人の意思を証明する重要な役割を果たします。その印鑑証明書までもが、公的機関から正規に発行されてしまったのです。
これにより、地面師グループは取引の相手方を信用させるための強力な武器を手に入れました。一連の流れは、明らかに計画的に仕組まれたものだったと考えられます。
手口4:制度の根幹を揺るがす「本人確認情報」の虚偽作成
そして最後に、司法書士制度の根幹を内側から破壊する行為が行われます。
通常、不動産を売却する際には、その不動産の「権利証(登記識別情報、登記済証)」が必要です。しかし、今回は「権利証を紛失した」という筋書きでした。
このように権利証がない場合、司法書士が本人と直接面談し、運転免許証などの書類確認や、不動産の取得経緯といった本人しか知り得ない情報の聞き取りなどを通じて、「目の前の人物が真の所有者に間違いない」と判断した場合に、その責任において「本人確認情報」という報告書を作成することができます。これは、法務局が権利証の代わりとして認める、非常に重要な書類です。
今回の事件では、逮捕された司法書士がこの制度を悪用しました。なりすまし役だと知りながら、虚偽の本人確認情報を作成し、法務局に登記を申請したのです。これは、専門家の良心と重い責任によって支えられている制度そのものを、内側から破壊する許しがたい背信行為です。
なぜ不正を防げなかったのか?制度の仕組みと限界
「なぜ、こんな不正がまかり通ってしまうのか?」「制度に穴があるのではないか?」多くの方がそう思われたことでしょう。この疑問について、専門家の視点から解説します。

性善説に基づく制度:司法書士の良心という最後の砦
実は、「本人確認情報」制度には、悪用を防ぐための仕組みが備わっています。それは、他ならぬ「司法書士による厳格な本人確認」そのものです。
権利証がないという例外的な状況下で作成されるため、司法書士は普段の業務よりもはるかに厳格で、きめ細かい本人確認を行うことが義務付けられています。どのような方法で確認するか、その具体的なノウハウは、地面師グループに対策を練られる恐れがあるため、ここで詳しく明かすことはできません。その手法を秘匿すること自体が、防衛策の一つなのです。
この制度は、「司法書士は、専門家としての高い倫理観と責任感に基づき、誠実に職務を遂行する」という大前提、いわば性善説の上に成り立っています。司法書士に手続きを依頼するということは、その専門性と倫理観を信頼していただくことに他なりません。司法書士一人ひとりの良心こそが、不正を防ぐための最後の砦なのです。
事件が浮き彫りにした制度の脆弱性
しかし、今回の事件は、その最後の砦が内側から崩されたときに、制度がいかに脆弱であるかを浮き彫りにしました。
本人確認情報という制度は、法務局が司法書士という専門家を信頼し、その報告内容を尊重することで成り立っています。そのため、チェックする側の司法書士自身が悪意を持って虚偽の報告書を作成した場合、それを見抜くことは極めて困難になります。
制度が専門家の倫理観に大きく依存しているからこそ、その倫理観が失われたとき、チェック機能が麻痺してしまう。これが、今回の事件で露呈した、制度の根本的な脆弱性です。
もちろん、法務局も登記官による厳格な審査を行いますが、専門家である司法書士が「本人に間違いない」と責任を持って報告してきた書類に対し、その前提を疑うことには限界があります。制度を内側から破る行為に対して、現行の仕組みだけでは完全な防止が難しいという厳しい現実を、私たちは直視しなければなりません。
司法書士業界の信頼回復に向けて私たちがすべきこと
今回の事件は、司法書士業界全体にとって、あまりにも重い教訓となりました。失われた信頼を取り戻す道は、決して平坦ではありません。しかし、私たちはこの現実から目を背けることなく、真摯に向き合っていく必要があります。
まずは、私たち司法書士一人ひとりが、自らの職責の重さを改めて胸に刻み、高い倫理観を保持し続けることが不可欠です。個々の倫理研修の徹底はもちろんのこと、司法書士会などの組織としても、不正を許さない、そして不正の兆候を早期に発見できるような体制づくりを強化していく必要があるでしょう。
また、今回の事件を機に、制度そのもののあり方について、見直しの議論が必要になるかもしれません。専門家の良心に過度に依存するのではなく、不正をより困難にするための多角的なチェック体制の導入など、建設的な検討を進めるべきです。
私たち司法書士の使命は、国民の皆様の権利と財産を守ることです。その中には、成年後見制度などを通じて判断能力が不十分な方の財産を守るという重要な役割も含まれます。今回の事件は、ごく一部の倫理観を欠いた司法書士による例外的な事案ではありますが、業界全体として襟を正し、社会からの信頼に全力で応えていく決意です。
最後に、この記事はあくまで現在報道されている内容を前提として解説したものです。推定無罪の原則に基づき、最終的な事実関係の確定は、今後の司法の判断を待つ必要があることを申し添えます。

司法書士・行政書士・社会保険労務士いがり綜合事務所の司法書士 猪狩 佳亮(いがり よしあき)です。神奈川県川崎市で生まれ育ち、現在は遺言や相続のご相談を中心に、地域の皆さまの安心につながるお手伝いをしています。8年の会社員経験を経て司法書士となり、これまで年間100件を超える相続案件に対応。実務書の執筆や研修の講師としても活動しています。どんなご相談も丁寧に伺いますので、気軽にお声がけください。
